
2011年06月22日
今日も、沖縄は暑い!です。
にがお絵(自画像)が、似すぎて!怖い v(^^)v と言われています。
私のミッションは、ピースメモリアルグッズの深~い話です。
今日は、小橋川和海の『てんてる願いのストラップ』と沖縄戦最後の知事島田
叡(あきら)の逸話を紹介します。
島田叡元知事は、終戦の年、昭和20年1月12日に軍用機で那覇空港に降り立ち
ました。沖縄戦終結の5ヶ月前でした。短剣、短銃、青酸カリと「葉隠」「大南公遺訓」を携えての覚悟の着任、四十三才、家族に相談せず決めたことでした。
それまで、戦時下という理由で自粛されていた、飲酒、宴会、村芝居などを復活し、自ら村々回って、県民と交流を重ねた島田知事は、酒が入り、興が乗ると率先して坊主頭にほっかむりをして『てるてる坊主、てる坊主、あ~した天気にしておくれ~』と唄い踊ったそうです。
このいきさつは、地元沖縄テレビが制作した、2003年FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品(山里孫存ディレクター制作)で紹介されています。
http://fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/backnumber/12th/03-185.html
『鉄の暴風』が迫る沖縄を救って欲しいという願いがそうさせたと生き残った
県職員たちは語っています。
島田知事は、決死の慣行で台湾に渡り、食料を調達したり、本島北部、台湾、本土に県民を疎開させたり、一説には、数万人の県民を救ったという人もいます。
沖縄平和祈念公園がある摩文仁の丘には、
国立沖縄戦没者墓苑をはじめ46都道府県の慰霊の塔、40団体以上の慰霊碑があります。
第一号は、昭和26年、生き残った県職員たちの手で建立されたのが島田知事以下468柱の県・県警職員たちを祀った『島守の塔』です。
島田知事は、その後の証言で、摩文仁の海岸の壕内で短銃により自害したということが語られています。
PMGプロジェクトが、昨年の調査で訪れた広島・長崎は、8月6日と8月9日の原爆投下の日をもっとも大切なメモリアルデーとして、毎年、平和悲願の日として、全世界にアピールしています。
因みに、沖縄県平和祈念工公園の中央に位置する『平和の灯』は、広島、長崎の灯と、米軍が最初に上陸した阿嘉島から採火された灯を一つにして灯されおり、『慰霊の日』には一日、世界の平和の祈念し、その光は海原の果てまで届きます。
沖縄県は、沖縄方面軍司令長官牛島中将の自害したとされる日を事実上の沖縄戦終結の日として『慰霊の日』に定めています。
私事ですが、義父は、鉄血勤皇隊の生き残りで、牛島中将の伝令兵でした。『君達は、沖縄の将来を築く大切な若者だから、絶対に死んではならない。必ず生きるんだ。』と、牛島中将の言葉を、直接聞き、解散命令を受けた一人です。
PMGプロジェクトは、明日一日ピースメモリアルグッズの展示・テスト販売を行います。
『慰霊の日』には、約5千名の県民が平和祈念公園に参集し、沿道は、炎天下の中、多くの平和行進する人々の姿が見受けられます。
『てんてる願いのストラップ』は、くしくも、島田知事が着任した1月12生まれの小橋川和海のインスピレーションで創られました。
島田知事の声が聞こえたのでしょうか?

沖縄県高校野球新人戦大会の優勝杯は、『島田杯』として、高校球児に受け次がれています。
6月23日は、世界中にいるウチナーンチュが、1945年に想いを馳せる大切な一日です。
Ryu.MATSUDA
私のミッションは、ピースメモリアルグッズの深~い話です。
今日は、小橋川和海の『てんてる願いのストラップ』と沖縄戦最後の知事島田
叡(あきら)の逸話を紹介します。
島田叡元知事は、終戦の年、昭和20年1月12日に軍用機で那覇空港に降り立ち
それまで、戦時下という理由で自粛されていた、飲酒、宴会、村芝居などを復活し、自ら村々回って、県民と交流を重ねた島田知事は、酒が入り、興が乗ると率先して坊主頭にほっかむりをして『てるてる坊主、てる坊主、あ~した天気にしておくれ~』と唄い踊ったそうです。
このいきさつは、地元沖縄テレビが制作した、2003年FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品(山里孫存ディレクター制作)で紹介されています。
http://fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/backnumber/12th/03-185.html
『鉄の暴風』が迫る沖縄を救って欲しいという願いがそうさせたと生き残った
県職員たちは語っています。
島田知事は、決死の慣行で台湾に渡り、食料を調達したり、本島北部、台湾、本土に県民を疎開させたり、一説には、数万人の県民を救ったという人もいます。
沖縄平和祈念公園がある摩文仁の丘には、

第一号は、昭和26年、生き残った県職員たちの手で建立されたのが島田知事以下468柱の県・県警職員たちを祀った『島守の塔』です。
島田知事は、その後の証言で、摩文仁の海岸の壕内で短銃により自害したということが語られています。
PMGプロジェクトが、昨年の調査で訪れた広島・長崎は、8月6日と8月9日の原爆投下の日をもっとも大切なメモリアルデーとして、毎年、平和悲願の日として、全世界にアピールしています。
因みに、沖縄県平和祈念工公園の中央に位置する『平和の灯』は、広島、長崎の灯と、米軍が最初に上陸した阿嘉島から採火された灯を一つにして灯されおり、『慰霊の日』には一日、世界の平和の祈念し、その光は海原の果てまで届きます。
沖縄県は、沖縄方面軍司令長官牛島中将の自害したとされる日を事実上の沖縄戦終結の日として『慰霊の日』に定めています。
私事ですが、義父は、鉄血勤皇隊の生き残りで、牛島中将の伝令兵でした。『君達は、沖縄の将来を築く大切な若者だから、絶対に死んではならない。必ず生きるんだ。』と、牛島中将の言葉を、直接聞き、解散命令を受けた一人です。
PMGプロジェクトは、明日一日ピースメモリアルグッズの展示・テスト販売を行います。
『慰霊の日』には、約5千名の県民が平和祈念公園に参集し、沿道は、炎天下の中、多くの平和行進する人々の姿が見受けられます。
『てんてる願いのストラップ』は、くしくも、島田知事が着任した1月12生まれの小橋川和海のインスピレーションで創られました。
島田知事の声が聞こえたのでしょうか?

沖縄県高校野球新人戦大会の優勝杯は、『島田杯』として、高校球児に受け次がれています。
6月23日は、世界中にいるウチナーンチュが、1945年に想いを馳せる大切な一日です。
Ryu.MATSUDA
Posted by 沖縄県PMGプロジェクト at 13:05│Comments(0)